| ■昭和42年【東京支店入社】・・・若い頃はガムシャラに多数の調律をこなす |
| 東京では主に一般家庭を中心に、月50〜60台の調律を行うことによって、多くの経験ができ、技術を確立することができたと今は感じています。 |
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| ■昭和48年【本社工場にて研修】・・・グランドピアノの技術力を高める |
| 本社、グランドピアノ工場での研修では、全ての製造ラインを回り、グランドピアノの技術力を高めることができました。 |
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| ■昭和50年【仙台支店勤務】・・・技術から離れ営業販売へ |
| 自分の持っている技術を発揮し、ピアノアドバイザー的存在で音大生や専門家の方々を中心にピアノを販売してきました。当時はピアノ等の販売だけではなく、店で企画した『ピアノ公開レッスン』(講師はピアニストの弘中孝氏、神谷郁代氏)の司会をまかされ、貴重な体験をさせてもらい、今ではとても良い思いでとなっております。 |
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| ■昭和53年【ピアノ技術に復帰】・・・ヤマハ“ポプコン”を中心に |
| 東北6県が担当だったため、出張で各地の音楽大学の仕事をさせていただきました。又、当時はヤマハの“ポプコン”が盛んで、八神純子氏やクリスタルキング氏等の仕事も多く手がけ、そして、56年3月には福島でリヒテル氏(故)の仕事もさせていただきました。今でも記念に、当時サインしていただいた色紙は大切に飾ってあります。 |
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| ■昭和56年【ヤマハプランズ秋田に勤務】・・・ピアノ技術の管理とコンサート |
| 秋田では多くのアーティストの方々、地元新聞社主催の毎月のコンサート、NHK合唱コンクール等、多くの仕事をさせていただきました。中でも思い出深いものは、秋吉敏子氏、山下洋輔氏、花房晴美氏、園田高弘氏(故)、秋田最後の仕事としてやったリチャード・クレーダーマン氏の仕事です。自分の目標であったコンサートチューナーの夢も秋田では実現でき、とても思い出深い場所となっています。 |
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| ■昭和59年【ピアノテクニカルアカデミー勤務】・・・ピアノ技術者から講師へ |
| 講師として14年間、竪型ピアノとグランドピアノの技術を指導してまいりました。海外(カナダ・アメリカ・スウェーデン等)からの研修生も多く、自分にとってもいろんな意味で勉強になることがあり、特に音のとらえ方は日本人とは全然違い、その素晴らしさに感動いたしました。 |
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| ■平成10年【ヤマハを早期退社】・・・ますます磨きをかけ |
退社後は独立。平成20年3月から週3日程ピアノ工房へピアノの技術指導に出向いています。
ますます技術に磨きをかけ、お客様に満足していただける技術を提供してまいります。 |
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